カルメンスティーブンス

社会貢献型ワイン。このワインの利益の一部を西ケープ州の貧困地区の学校の給食プロジェクト費用に充てている。

カルメンは自分の子供たちに「どんなに困難でも努力次第で夢は叶う」と伝えたい。彼女も実際、貧しい環境で育ったが、ワインが世界を広げてくれた。どんなことでも可能になる」と。仕事の無い時は二人の娘と一緒に料理したり外食したりするのを楽しんでいるシングルマザー。

アマニワインの元醸造家 カルメンが手掛ける新プロジェクト

カルメン スティーブンス<Carmen Stevens> [ ステレンボシュ地区 ]

[ 設立年度 ] 2011年

カルメン・スティーブンス・ワインズは2011年に設立され、2014年に初ヴィンテージを発表。カルメンは、南アフリカでワイン醸造の技術を学んだ最初の黒人で、1995年にワイン醸造家の資格を取得して以来、南アフリカのワイン業界に携わってきました。2008年にはアマニ社勤務時代にデカンター・ワールドワイン・アワードのボルドー赤品種部門でトロフィ(世界一)受賞。2019年1月には、南アフリカ初の100%黒人が所有するワイナリーへと成長しました。

カルメンは西ケープ州の様々な地域の畑からブドウを購入してワインを製造。ワインは豊かな果実味で濃厚、フェミニンで新世界スタイル。このワインは醸造家カルメンとして、彼女の情熱を表現するものであり、同時に西ケープ州の多くの貧しい子供達の現在と未来を支えるプロジェクト主催者としての使命を感じるものである。キラキラした強く、美しい目を持つカルメンは、小柄で華奢な女性ですが、困難を常に乗り越え前進するパワフルな人です。ラベルのトラは、長女のケイトリンが6歳の時に小学校で描いた絵がモデルになっている。

 

【 給食プロジェクト 】

ワインの利益の一部と多方面からの寄付金を西ケープ州の貧困地区の学校の給食プロジェクト費用に充てている。2011年設立と同時に、カルメンが13歳から住んでいたステレンボシュのBelhar(ベルハール)の3つの小学校(400~500人の生徒)に週3回スープを提供することから始めました。現在は25のコミュニティ、53の学校、10,310人の学生に栄養価の高い朝食と昼食を提供している。カルメン曰く、「貧しい地区の子供達は、何も食べずに学校に来る子がいるので、空腹と栄養不足で学校で倒れたり気絶したりする子がいます。」と。

 

当社で販売していた「アマニワイン(ピンクリボンプロジェクト)はカルメン女史が手掛けたワイン」。彼女の新しいプロジェクトはまだまだ続きます。

 

【 カルメン:プロフィール】

カルメンはステレンボシュのケープフラット、いわゆる黒人やカラードと呼ばれる有色人種が住む貧困地区で育ちました。中学生の時に母親が持っていた小説を読み、ワインの世界に興味を持ち、「ワイン醸造家になる」という夢を抱いた。

 

1990年 この時代、南アフリカは、世界中から非難を浴びた悪しきアパルトヘイト(人種隔離政策)が終わりを迎えようとしていましたが、この国の未来に不安を抱く人々が各地で暴動を起こしていました。そんな時にカルメンは高校を卒業。ワイン業界の門を叩きました。しかし、ステレンボシュにあるエルセンバーグ農業大学は、彼女の入学を拒否。当時は白人学生しか入学できなかったからです。

1991年 再度エルセンバーグ農業大学に入学申請したが同じ理由で拒否される。南京錠を作る工場で働きながらイースターにチョコレートを販売したり、ケープタウン駅で靴を売ったりしながら生活をしました。

1992年 再度エルセンバーグ農業大学に入学申請したが、「彼女は軍事訓練を受けていないし、農業のバックグラウンドが無い」という理由で再び入学を拒否されました。彼女は諦めず、工場で働きながら通信教育で農業のディプロマ・コースを受講、修了しました。カルメンは「絶対入学できる」と強い気持ちを持っていました。

1993年 ついに4回目の入学申請で入学を許可されました。彼女は大学に再び入学拒否をするならこのことを暴露しますと訴えました。ようやく入った大学ですが、学生生活は簡単ではありませんでした。黒人の女性ということで、周りの学生や先生からの差別や侮辱を受け、時にはパニック障害になり、もう少しで学校を辞めることまで考えました。しかし、彼女は学校にこのような状況を訴えると、いじめは直ぐに止みました。

1994年 (南アフリカ社会)アパルトヘイト終了。マンデラ氏が率いる新生南アフリカの誕生と本格的に民主化スタート。

1995年 大学卒業。彼女は「大学生活はとても大変だったけど今はとても嬉しい。」と、大喜びしました。白人のそして男性中心のワイン業界の中で、南アフリカワイン史上初の黒人醸造家誕生。

その後、ディステル社に入社。黒人の地位向上プロジェクトがスタートし、彼女が担当したワイン、Tukulu(トゥクル)・ピノタージュ1999と2001が南アフリカ・ヴェリタス・アワードで金賞を受賞。彼女にとって最初のヴィンテージだった1999年は2000年の南アフリカ・トップ10ピノタージュに選出されました。その後、インターンでカリフォルニアやフランスでの収穫を体験しました。その後、同じステレンボシュにあるアマニ社に移りました(8年間在籍)。

 

2008年 デカンター・ワールドワイン・アワードのボルドー赤品種部門で2006アマニ・カベルネフラン・メルロがトロフィ(世界一)受賞。 その後、アマニはオーナーの病気が原因でワイナリーは無くなりました。彼女は自分自身のブランドを立ち上げようとしましたが、才能はあっても銀行は融資をしてくれませんでした。

2009年 カルメン・スティーブンス財団設立。目的は西ケープ州の空腹児童に給食を提供するプロジェクトです。カルメン曰く、「貧しい地区の子供達は、何も食べずに学校に来る子がいるので、空腹と栄養不足で学校で倒れたり気絶したりします。」と。

2011年 イギリスのNaked Wine社から援助を受け、自身のワインブランド立ち上げ。醸造所はアマニが貸してくれました。初ヴィンテージは2014。イギリス、アメリカを中心に輸出。

2017年 ビジネス・ウーマン・アソシエーション主催の西ケープ州の農業輸出部門で、トップ女性起業家賞受賞。

2019年 南アフリカで最初の100%黒人だけで運営するワイナリーとして登録。南アフリカ最優秀スモールビジネス起業家賞受賞(主催:サンラム&ビジネスパートナーズ)。

 

 

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